〜SHEET NOW〜

創業55年の会社が生き返る/デジタル化が援護

株式会社田中鈑金 
www.tanakabankin.co.jp




完成品  昭和27年に創業者の田中晃一氏によって溶接所を開設、昭和30年に島津製作所、42年に大日本スクリーン製造彦根機械工場の協力工場となり、その取引は現在まで連綿と続く。経営者も替わり、瀕死の会社を更生させたのが現社長の田中正明さんと専務取締役で創業社長の長女である悦子さん。社長は20年ほど前に同社に入社して大日本スクリーン製造のプログラム、抜き、出荷管理までを担当していたので大日本スクリーン製造とは長い取引経験を持つ。
 「創業者の父、2代目社長の叔父、赤字でどうにもならなくなった状態で平成13年に社長を引き受けたのが夫・田中正明で、私も同時に入社しました。会社は今年で創業55年を迎え、やっと今で言うハイテク板金企業に仲間入りさせていただきましたが、入った当時は愕然とすることがいっぱいありました」と当時を振り返って話すのは悦子専務。

課題を一つずつ解決していく
FOL-3015NT  「会社に足を踏み込むと、素人の私が見ても、改善したい箇所はいっぱいありました。最新の設備に入れ替えたい、業務のフローを改善したい。しかし、資金的に厳しい状況でしたので、知恵で解決できるところは即、まとまった金額のものは1月働いて1つ実現といったスローペースでした」。そんなどん底からのスタートだったが、大手2社からの取引は安定していた。悦子専務は子供たちの大学受験の時にも自宅に帰れないくらい、会社に詰め、社長の片腕として再建に献身した。「子育て中心に生活していた私が、こんなに変われたのは不思議です」と当時を振り返って ...

つづきは本誌2007年6月号でご購読下さい。