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	<title>マシニスト出版 株式会社 &#187; Independents ― 事業継承者の起業家精神</title>
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	<description>Machinist Publishing Co.,Ltd.</description>
	<lastBuildDate>Tue, 21 Apr 2026 05:18:55 +0000</lastBuildDate>
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		<item>
		<title>組織化・合理化・ヒトづくり ― 行動で証明しながら改革を推進</title>
		<link>https://www.machinist.co.jp/2018/02/7858/</link>
		<comments>https://www.machinist.co.jp/2018/02/7858/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 22 Feb 2018 11:14:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sheetmetal</dc:creator>
				<category><![CDATA[3月]]></category>
		<category><![CDATA[Independents ― 事業継承者の起業家精神]]></category>

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		<description><![CDATA[カーディーラーの営業マンから転身 「“良継”という名前からもわかるとおり、私は生まれたときから父（堀良輝会長） ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="sigle_intro">
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1803_inde01_01.jpg" alt="画像：組織化・合理化・ヒトづくり――行動で証明しながら改革を推進" width="620" height="300" class="size-full wp-image-7937" /><span class="caption-text">2017年に導入したファイバーレーザ複合マシンLC- 2012C1AJ</span></span></p>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>カーディーラーの営業マンから転身</h3>
<p class="left_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1803_inde01_02.jpg" alt="画像：組織化・合理化・ヒトづくり――行動で証明しながら改革を推進" width="250" height="270" class="size-full wp-image-7938" /><span class="caption-text">堀良継氏</span></span></p>
<p>「“良継”という名前からもわかるとおり、私は生まれたときから父（堀良輝会長）の後を継ぐことが期待されていました。具体的に父との間でそういう話があったわけではありませんが、私自身も漠然と、いつかは父の会社を継ぐのだろうと考えていました」と<strong>堀良継</strong>社長は語っている。</p>
<p>その一方で、社会に出てすぐに家業に入るつもりはまったくなかった。“社長の息子”というレッテルを貼られ、「何もできないくせに」と思われることが嫌でたまらなかった。</p>
<p>「何もわからない若造が“社長の息子”だからといって後を継ぐことになったら、社員は納得できるわけがない。自分が会社を継ぐからには、社会経験を積み、少しでも“社長の息子”にふさわしい人間にならなければ」と考えた。</p>
<p>自動車好きだった堀社長は、大学で機械工学科を学び、自動車整備士を目指した。卒業後は地元のカーディーラーへの就職を希望したが、面接官からは「大卒は営業しか取らない」と言われた。整備士を目指す堀社長にとっては誤算だったが、「営業職の経験は、将来（会社を継いだとき）必ず役に立つ」と思い直した。当時の堀社長は口べたで、営業向きではなかったというが、「就職を機に弱点を克服したい」という思いもあった。</p>
<p>努力の甲斐あって、いつしか誰が相手でも物怖じすることなくコミュニケーションが取れるようになっていた。</p>
<p>カーディーラーには5年間勤め、28歳で退職、事業承継を決意した。自動車営業を通して自分の裁量で仕事をすることの楽しさを知った堀社長は、30歳を目前にして、さらに高いステージ―経営者という立場で仕事をしてみたいと考えるようになっていた。</p>
<p>しかし堀社長はすぐには入社せず、熊本県のポリテクセンターのテクニカルメタルワーク科で半年間、溶接の訓練を受けることにした。このときも“社長の息子”と見られることに対する意識が少なからずあったようだ。</p>
<p>「入社してから教えてもらって、全然できないと思われるのは嫌でした。教えてくれる父や先輩社員に余計な負担もかけたくなかった」と、堀社長は当時の心境を語っている。</p>
<p>訓練修了後も「もう少し社会経験を積んでから入社したい」という思いはあったが、父親である堀会長の呼びかけもあって、2002年10月、堀社長はアドヴァンスに入社を果たすことになる。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1803_inde01_03.jpg" alt="画像：組織化・合理化・ヒトづくり――行動で証明しながら改革を推進" width="295" height="220" class="size-full wp-image-7939" /><span class="caption-text">VPSS 3iのPD（Production Designer）で表示した3次元モデル</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1803_inde01_04.jpg" alt="画像：組織化・合理化・ヒトづくり――行動で証明しながら改革を推進" width="295" height="220" class="size-full wp-image-7940" /><span class="caption-text">パンチ・レーザ複合マシンEML-3510NT</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>板金・塗装の一貫生産が強み</h3>
<p><strong>㈱アドヴァンス</strong>は、金庫や鋼製家具の製作会社に勤めていた堀良輝会長が1973年に独立して創業した。堀会長の前職では一般板金が主だったが、「これからは精密板金が伸びる」という考えのもと、電気機器カバーや情報機器カバーといった精密板金加工の仕事を開拓していった。</p>
<p>同社の最大の特色は、板金加工から塗装（溶剤・粉体）までの一貫生産体制。熊本県内には塗装業者が少なく、まして板金から塗装まで一貫で対応する企業となるとほとんどない。</p>
<p>2002年に堀社長が入社してからは、堀会長との二人三脚で設備の自動化・ネットワーク化を推進していった。直近では2017年にファイバーレーザ複合マシンLC-2012C1AJを導入して、EML-NTとの複合マシン2台体制とした。2016年にはACサーボ・ベンディングマシンFMBⅡ-3613NTを一挙に3台導入し、2017年にはもう1台追加導入した。</p>
<p>現在の得意先は約30社。上位5社で売上の80%を占める。この15年間で主力の得意先以外はほとんど入れ替わり、売上は2倍近く増加。充実した設備群と塗装までの一貫生産体制を強みに、着実に成長を遂げている。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1803_inde01_05.jpg" alt="画像：組織化・合理化・ヒトづくり――行動で証明しながら改革を推進" width="295" height="220" class="size-full wp-image-7941" /><span class="caption-text">2016年に一挙に3台導入したベンディングマシンFMBⅡ-3613NT</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1803_inde01_06.jpg" alt="画像：組織化・合理化・ヒトづくり――行動で証明しながら改革を推進" width="295" height="220" class="size-full wp-image-7942" /><span class="caption-text">塗装工程。板金から塗装までの一貫生産に対応できるのが同社の強みになっている</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="post_table">
<h3>会社情報</h3>
<dl class="table">
<dt>会社名</dt>
<dd>株式会社 アドヴァンス</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>代表取締役</dt>
<dd>堀 良継</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>住所</dt>
<dd>熊本県上益城郡益城町広崎字向峠1592-31</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>電話</dt>
<dd>096-286-8014</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>設立</dt>
<dd>1975年（1973年創業）</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>従業員数</dt>
<dd>26名</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>主要事業</dt>
<dd>電気機器・情報機器・搬送機器・医療機器・半導体製造装置関連などの精密板金加工</dd>
</dl>
</div>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>業種を問わないレーザジョブショップ</title>
		<link>https://www.machinist.co.jp/2017/12/7533/</link>
		<comments>https://www.machinist.co.jp/2017/12/7533/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 25 Dec 2017 09:14:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sheetmetal</dc:creator>
				<category><![CDATA[1月]]></category>
		<category><![CDATA[Independents ― 事業継承者の起業家精神]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://www.machinist.co.jp/?p=7533</guid>
		<description><![CDATA[子どものころから工場が遊び場 「子どものころから、私にとって工場は遊び場でした」と荒木勇希専務は語っている。  ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="sigle_block">
<h3>子どものころから工場が遊び場</h3>
<p class="left_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1801_inde01_01.jpg" alt="画像：業種を問わないレーザジョブショップ" width="250" height="300" class="size-full wp-image-7535" /><span class="caption-text">荒木勇希氏</span></span></p>
<p>「子どものころから、私にとって工場は遊び場でした」と<strong>荒木勇希専務</strong>は語っている。</p>
<p>1990年生まれの荒木専務は、小学2～3年生のころから、日曜日になるとたびたび父親である<strong>荒木強社長</strong>に連れられて、工場に出入りしていた。明石市の自宅から加古郡稲美町の工場まで車で約20分、出がけに買ってもらった菓子を食べながら一日ぼんやり過ごすこともあれば、プラズマ加工機で加工した製品のバリを除去する作業を手伝って小遣いをもらうこともあった。「正月にも工場にきて、父がCADを操作しているのを隣で眺めていた記憶があります」という。</p>
<p>荒木社長は、仕事で多忙でも子どもとの時間を大切にする父親だった。忙しかったため自宅にいる時間は短かったが、早く帰れる日にはよく遊んでくれたという。</p>
<p>「小学3年生のとき、仕事があまりに忙しくて構ってもらえなかったので、『どうしても音楽会の発表を見に来てほしい』と駄々をこねたことがありました。音楽会の当日、私の番になったときに体育館のトビラが勢いよく開いて、父が入ってきた。激務の合間を縫って都合をつけてくれたらしく、私の発表だけ見て、挨拶を済ませると、すぐに戻っていきました」。</p>
<p>荒木専務は3人兄弟の末っ子で、姉とは10歳、兄とは9歳、離れている。荒木社長は3人とも工場に連れてきたことがあるが、「勇希は一番、自分に近いと感じた」という。</p>
<p>「一番モノづくりが好きだったのは勇希です。工場にも、嫌だったらついてこなかったはず。『鉄工所向きなのはコイツだな』と思っていました」と荒木社長は振り返る。</p>
<p>「しかし、当時は子どもに会社を継がせようとは少しも思っていませんでした。吹けば飛ぶような会社を継がせるよりも、安定した仕事に就かせてやりたいというのが正直な気持ちでした。会社は私の一代限りで終わりにするつもりで、M&amp;Aにも興味をもっていました。『勇希が会社を継ぐことになるかもしれない』という予感は頭の片隅にありましたが、本人から『やる』と口に出さない限りは決して押しつけまいと決めていました」。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1801_inde01_02.jpg" alt="画像：業種を問わないレーザジョブショップ" width="295" height="210" class="size-full wp-image-7536" /><span class="caption-text">ファイバーレーザマシンFLC-3015AJ</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1801_inde01_03.jpg" alt="画像：業種を問わないレーザジョブショップ" width="295" height="210" class="size-full wp-image-7537" /><span class="caption-text">HD-5020NTによる曲げ加工（板厚6㎜）。曲げ角度センサーBi-Lにより曲げ加工精度が安定</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>多方面から受注するレーザジョブショップ</h3>
<p><strong>㈱アラキ</strong>は、建築金物・プラント・建設機械・造船関連・一般製缶などさまざまな分野から受注するレーザジョブショップ。得意先は兵庫県内企業を中心に100社前後で、約60社から毎月継続して仕事を受注。材質は鋼板がメイン、板厚2.3～22㎜に対応し、ファイバーレーザマシンFLC-3015AJやFO-MⅡ RI3015など3台のレーザマシンで加工している。板厚6～12㎜の範囲を最も得意とし、レーザ加工から曲げ・溶接まで対応することで付加価値を高めている。</p>
<p>1990年、当時29歳だった荒木社長は、鉄道車両メーカーに社外工として勤務していた伯父から誘いを受け、同工場内で製缶加工の請負業として個人創業。1993年に現在の工場の空きスペースを借り、鉄工業としてスタートした。</p>
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1801_inde01_04.jpg" alt="画像：業種を問わないレーザジョブショップ" width="620" height="210" class="size-full wp-image-7622" /><span class="caption-text">①荒木専務の自宅。リビングの奥には小型のレーザ加工機が設置されている／②小型のレーザ加工機でオリジナルのデザイン雑貨などを製作／③ECサイトで累計販売数4,000個以上のアクセサリーハンガー</span></span></p>
</div>
<div class="post_table">
<h3>会社情報</h3>
<dl class="table">
<dt>会社名</dt>
<dd>株式会社 アラキ</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>代表取締役</dt>
<dd>荒木 強</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>専務取締役</dt>
<dd>荒木 勇希</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>住所</dt>
<dd>兵庫県加古郡稲美町加古715-1</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>電話</dt>
<dd>079-492-7996</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>設立</dt>
<dd>1990年</dd>
<dt>従業員数</dt>
<dd>13名</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>主要事業</dt>
<dd>一般製缶、建築金物、建設機械・造船関連部品などのレーザジョブショップ</dd>
</dl>
</div>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>プレスと板金の2本柱で「永続企業」を目指す</title>
		<link>https://www.machinist.co.jp/2017/11/7367/</link>
		<comments>https://www.machinist.co.jp/2017/11/7367/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 22 Nov 2017 08:08:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sheetmetal</dc:creator>
				<category><![CDATA[12月]]></category>
		<category><![CDATA[Independents ― 事業継承者の起業家精神]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://www.machinist.co.jp/?p=7367</guid>
		<description><![CDATA[ワンストップ加工に対応 ㈱寺嶋製作所は、滋賀県東近江市で金型設計・製作から、プレス成形加工・板金加工・溶接・塗 ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="sigle_intro">
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1712_inde01_01.jpg" alt="画像：プレスと板金の2本柱で「永続企業」を目指す" width="620" height="325" class="size-full wp-image-7370" /><span class="caption-text">同社で加工した製品の数々</span></span></p>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>ワンストップ加工に対応</h3>
<p class="left_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1712_inde01_02.jpg" alt="画像：プレスと板金の2本柱で「永続企業」を目指す" width="250" height="300" class="size-full wp-image-7371" /><span class="caption-text">寺嶋一真氏</span></span></p>
<p><a href="http://terashima-ss.co.jp/" target="_blank">㈱寺嶋製作所</a>は、滋賀県東近江市で金型設計・製作から、プレス成形加工・板金加工・溶接・塗装・組立までのワンストップ加工に対応する金属加工企業。</p>
<p>同社のルーツは、1924年（大正13年）に<strong>寺嶋嘉孝社長</strong>の祖父にあたる<strong>寺嶋嘉一氏</strong>が開業した、鍬・鋤といった農機具の製造・修理業を営む鍛冶屋。2代目にあたる<strong>寺嶋一雄名誉会長</strong>は、寺嶋社長の誕生にともない「これからの時代、鍛冶屋は継がせられない」と考え一念発起、1962年にプレス加工業として寺嶋製作所を新たに創業した。転業にともなう苦労は並大抵ではなかったが、社員全員の努力により、高品質の製品を幅広く提供できる加工企業として、徐々に信頼が高まっていった。</p>
<p>時代の変化と多様化する需要に対応するため、金型の設計・製作とプレス加工を中核技術としながらも、板金加工・溶接・塗装・組立といった工程を順次社内に取り込み、現在では売上高34億円の中堅企業に発展した。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1712_inde01_03.jpg" alt="画像：プレスと板金の2本柱で「永続企業」を目指す" width="295" height="210" class="size-full wp-image-7373" /><span class="caption-text">パンチ・レーザ複合マシンEML-3510NTP+ASR2512NTK（自動金型交換装置・TK仕様）</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1712_inde01_04.jpg" alt="画像：プレスと板金の2本柱で「永続企業」を目指す" width="295" height="210" class="size-full wp-image-7374" /><span class="caption-text">4mまでの曲げ長さに対応するネットワーク対応型ベンディングマシンHDS-2204NT</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>プレスが中核も、板金が急成長</h3>
<p>創業当初は、産業機械などに使われるグリスキャップ、蚊取り機の支柱などの加工を行い、1970年代は照明器具、1980年代は鋼製家具、1990年代以降は炊飯器の内鍋をはじめとする調理家電と、主要業種・得意先をシフトしながら成長してきた。</p>
<p>現在の得意先は約50社。主要10社で売上全体の90%、残り40社で10%を占める。以前は大手企業との取引がはじまると、その得意先の“ナンバーワン・サプライヤー”になることを目指したが、得意先の倒産で大きな痛手を受けることがたび重なり、方針を転換。1979年という早い時期から、得意先1社の売上比率が30%を超えないようにしてリスクを分散した。絶えず新規得意先・業種を開拓しながら、柔軟性のある経営スタイルで市場の変化に対応してきた。</p>
<p>あくまで中核事業はプレス加工だが、近年は板金加工の仕事量が急速に成長している。1995年頃、量産によるプレス加工の仕事が落ち込むなかで大手OA機器メーカーから板金加工の仕事を受注したことが、板金加工参入の大きなきっかけになった。寺嶋社長が3代目社長に就任した2001年に板金加工の専門工場を開設、それ以来、板金加工の仕事量は着実に拡大、現在は自動倉庫や冷凍・冷蔵ショーケースといった物件対応の仕事が繁忙となっており、売上比率ではプレス60%に対して板金が40%にまで増えてきている。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1712_inde01_05.jpg" alt="画像：プレスと板金の2本柱で「永続企業」を目指す" width="295" height="210" class="size-full wp-image-7375" /><span class="caption-text">300トンプレスによる調理家電向け製品の深絞り加工</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1712_inde01_06.jpg" alt="画像：プレスと板金の2本柱で「永続企業」を目指す" width="295" height="210" class="size-full wp-image-7376" /><span class="caption-text">鋳造でしか製造できなかった製品をファイバーレーザ溶接で接合・後付けする工法を提案、採用された</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="post_table">
<h3>会社情報</h3>
<dl class="table">
<dt>会社名</dt>
<dd>株式会社 寺嶋製作所</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>代表取締役社長</dt>
<dd>寺嶋 嘉孝</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>住所</dt>
<dd>滋賀県東近江市宮川町339-2</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>電話</dt>
<dd>0748-55-0191</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>設立</dt>
<dd>1970年（1962年創業）</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>従業員数</dt>
<dd>148名</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>主要事業</dt>
<dd>調理家電部品、生活家電部品、物流・マテハン部品、冷凍ショーケース部品、厨房機器部品、住宅関連機器部品、鋼製家具部品電気照明器具部品、建築用金属部品、交通環境資材などの製造</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>URL</dt>
<dd><a href="http://terashima-ss.co.jp/" target="_blank">http://terashima-ss.co.jp/</a></dd>
</dl>
</div>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>最大の強みは“解決力”―働き方改革と自動化に本格対応</title>
		<link>https://www.machinist.co.jp/2017/10/7204/</link>
		<comments>https://www.machinist.co.jp/2017/10/7204/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 25 Oct 2017 02:32:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sheetmetal</dc:creator>
				<category><![CDATA[11月]]></category>
		<category><![CDATA[Independents ― 事業継承者の起業家精神]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://www.machinist.co.jp/?p=7204</guid>
		<description><![CDATA[大手メーカーの無線システム開発者に 「幼少期、父と会うのはいつも工場でした。父は私が寝た後に帰ってきて、起きる ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="sigle_intro">
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1711_inde01_01.jpg" alt="画像：最大の強みは“解決力”―働き方改革と自動化に本格対応" width="620" height="380" class="size-full wp-image-7206" /><span class="caption-text">同社の主力製品である塵芥車のサイドパネル</span></span></p>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>大手メーカーの無線システム開発者に</h3>
<p class="left_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1711_inde01_02.jpg" alt="画像：最大の強みは“解決力”―働き方改革と自動化に本格対応" width="250" height="370" class="size-full wp-image-7209" /><span class="caption-text">宮田明氏</span></span></p>
<p>「幼少期、父と会うのはいつも工場でした。父は私が寝た後に帰ってきて、起きる前に出かけていく生活でしたから、自宅で会うことはほとんどありませんでした。幼稚園の頃は、母が父の工場へ弁当を持っていくときに私もついて行って、事務所のコピー機で遊んだり、工場内で加工マシンのスタートボタンを押させてもらったりしたものです」。</p>
<p>「小学生の頃は、お小遣いをもらって、資料整理の手伝いをすることもありました。3～4年生の頃は、地元の広島カープの試合の観戦に行きたくて、バス代をもらうために工場で手伝いをすることもありました。中学生になって自分の部屋ができると、テレビやビデオデッキがほしくて、工場でアルバイトをさせてもらいました」。</p>
<p>「この頃から、漠然とですが、『継ぎたくないな』と思っていました。時代は1990年代後半―IT産業が急成長していて、背広を着てオフィスでパソコンに向かうスマートな仕事に憧れを抱いていました。それに比べて、工場の現場は決してキレイではないし、夏は暑く、冬は寒い。繁忙期には夜は遅く、土日もない。しかも景気動向に大きく左右されるので、不安定で頼りない仕事だと感じていました。間近で見ていたからこそ、余計にそう感じたのかもしれません」。</p>
<p>高校に入学して以降、<strong>宮田明専務</strong>は工場にいっさい寄りつかなくなった。進学した普通科高校では理数系を選択し、地元の工業大学の電子光システム工学科へ進学した。大学では担当教授が日立製作所のOBだったこともあり、推薦で日立系列企業への入社が決まった。</p>
<p>2007年に入社した当時は、移動体通信やWi-Fiが急速に普及してきた頃で、希望どおり無線通信技術の開発部署へ配属された。道路交通情報をやりとりするITS（高度道路交通システム）や大容量の映像通信を実現する無線通信システムを開発する部署で、最初に与えられた仕事は1,000ページにもおよぶ無線に関する英語の国際規格を読み取ることだったという。</p>
<p>職場は、横浜みなとみらいの高層ビルの上層階。IT系と理数系をミックスした憧れの仕事に就いたことになる。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1711_inde01_03.jpg" alt="画像：最大の強みは“解決力”―働き方改革と自動化に本格対応" width="295" height="220" class="size-full wp-image-7210" /><span class="caption-text">SheetWorksで作成した塵芥車のサイドパネルの3次元モデル</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1711_inde01_04.jpg" alt="画像：最大の強みは“解決力”―働き方改革と自動化に本格対応" width="295" height="220" class="size-full wp-image-7211" /><span class="caption-text">この9月に導入したフォーク式パレットチェンジャー付きのレーザマシンFO-MⅡ 3015NT+ASFH-3015G</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>家業を継ぐことを決意</h3>
<p>入社して6年が経過し、設計の主担当者としての役割を与えられつつあった頃、父親である宮田丈士社長から「大口の仕事の見込みが立ち、忙しくなりそうだから手伝ってほしい」と打診があった。宮田専務は「父から正面を切って頼まれたのは初めてのことで、私も覚悟を決めました」というが、残念ながら仕事の見込みははずれ、この話は頓挫した。</p>
<p>宮田専務自身は入社7年目で職域も広がり、順調にキャリアアップしていた。しかし、大手企業特有の顧客との距離や、誰の役に立てているのか、いまひとつ実感が持てないことに、閉塞感ややりがいのなさを感じ、一度は立ち消えになった家業への思いが募っていった。</p>
<p>帰省の折に、一足先に林工業に入社していた弟の宮田真治取締役から、業績が振るわず、社内の雰囲気も悪化している状況を知らされた。弟ひとりに“家業”の重荷を背負わせていることに対して、負い目も感じた。兄にとっても弟にとっても家業であることに変わりはない。父が発展させてきた会社を受け継ぎ、社員たちの生活を守る使命を、自分もともに背負いたいという思いが湧き起こってきた。</p>
<p>2014年春、宮田専務は熟考の末、大手のキャリアを捨て、家業を手伝うために戻ることを決意した。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1711_inde01_05.jpg" alt="画像：最大の強みは“解決力”―働き方改革と自動化に本格対応" width="295" height="220" class="size-full wp-image-7212" /><span class="caption-text">ベンディングマシンHD-1303NTによる曲げ加工</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1711_inde01_06.jpg" alt="画像：最大の強みは“解決力”―働き方改革と自動化に本格対応" width="295" height="220" class="size-full wp-image-7213" /><span class="caption-text">塵芥車のサイドパネルの溶接作業</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="post_table">
<h3>会社情報</h3>
<dl class="table">
<dt>会社名</dt>
<dd>林工業 株式会社</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>代表取締役</dt>
<dd>宮田 丈士</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>住所</dt>
<dd>広島県安芸郡熊野町新宮3-3-4</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>電話</dt>
<dd>082-854-2388</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>設立</dt>
<dd>1969年</dd>
<dt>従業員数</dt>
<dd>33名</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>主要事業</dt>
<dd>特装車部品製作、各種プラント工事部品製作、バレル研磨（表面光沢仕上げ・バリ取り）、自動車部品製作、造船部品製作、建築部品製作</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>URL</dt>
<dd><a href="http://www.hayashi-hsk.co.jp/" target="_blank">http://www.hayashi-hsk.co.jp/</a></dd>
</dl>
</div>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>「選択と集中」で骨太な企業体質をつくる</title>
		<link>https://www.machinist.co.jp/2017/09/7004/</link>
		<comments>https://www.machinist.co.jp/2017/09/7004/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 27 Sep 2017 05:47:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sheetmetal</dc:creator>
				<category><![CDATA[10月]]></category>
		<category><![CDATA[Independents ― 事業継承者の起業家精神]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://www.machinist.co.jp/?p=7004</guid>
		<description><![CDATA[サービス業からの転身 「工場の敷地内に自宅があったので、小さい頃から日常的に工場に出入りし、両親が働く姿を間近 ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="sigle_intro">
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1710_inde01_01.jpg" alt="画像：「選択と集中」で骨太な企業体質をつくる" width="620" height="380" class="size-full wp-image-7008" /><span class="caption-text">形鋼のフレームに板金の外装部を組み合わせる</span></span></p>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>サービス業からの転身</h3>
<p class="left_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1710_inde01_02.jpg" alt="画像：「選択と集中」で骨太な企業体質をつくる" width="250" height="300" class="size-full wp-image-7009" /><span class="caption-text">阿部直哉氏</span></span></p>
<p>「工場の敷地内に自宅があったので、小さい頃から日常的に工場に出入りし、両親が働く姿を間近で見てきました」と阿部直哉社長は語り始めた。</p>
<p>「中学生の頃から、婉曲的な言い方でしたが『会社を継いでほしい』と父から話が出るようになりました。しかし私はそのたびに『嫌だ』『継がない』とかたくなに拒み続けていました。両親―特に父はいつも多忙で、家に帰ることは少なく、夏は暑く冬は寒い工場で仕事漬けの日々でした。当時の私は多感で夢見がちな年頃でしたから、『どうしてこんなにつらい思いをしながら働かなくてはいけないのか』『自分がやりたいのはこんな仕事ではない』と考えていました」。</p>
<p>高校生のころには両親の工場でアルバイトをしたこともあったが、高校3年生のときに工場から少し離れた場所に転居してからは、いっさい工場に寄りつかなくなった。</p>
<p>大学ではモノづくりへの興味から機械科に進んだが、家業を継ぐことは頭になかった。クルマ好きが高じて、大学卒業後は中古車ディーラーに就職、店舗スタッフとして2年間勤務した。当時は、朝9時出社で深夜2～3時まで、がむしゃらに働いた。休日は月1～2回だが、休日でも半日は出勤するなど、休みなく働いた。長時間労働に心身がむしばまれる中、「このままでは倒れる」と危機感を抱き、転職を考えるようになった。</p>
<p>ちょうどその頃、父親から「戻ってきて手伝え」と頻繁に電話がかかるようになっていた。後から知ったが、営業担当者が退職し、父親ひとりで営業から製造までを切り盛りするには限界があるため、“片腕”が必要な状況だったという。</p>
<p>サービス業からの転職を考えていたタイミングでもあり、阿部社長はモノづくりの世界に身を投じることを決断、家業を継ぐ覚悟を固めた。社会に出てハードワークを経験したことで、中高生の頃とは職業観が変わっていた。これまでの両親の働きぶりと苦労が身近に感じられ、労を惜しまない自分自身の仕事への向き合い方が両親の影響を大きく受けていることに気づいた。「社長の息子が入社して、仕事に対する姿勢が中途半端だったのでは会社や従業員に迷惑をかける。父親の顔をつぶすことにもなる」と自然と理解でき、「やるからには、とことんやってやろう」と決意した。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1710_inde01_03.jpg" alt="画像：「選択と集中」で骨太な企業体質をつくる" width="295" height="220" class="size-full wp-image-7010" /><span class="caption-text">レーザマシンLC-2415αⅡ。ロゴなどの自由形状の切り出しに対応</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1710_inde01_04.jpg" alt="画像：「選択と集中」で骨太な企業体質をつくる" width="295" height="220" class="size-full wp-image-7011" /><span class="caption-text">ベンディングマシンHDS-2204NTによる曲げ加工。長さ4mまで対応</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>屋外設置の大型看板が主力</h3>
<p>飛鳥東北㈱は、宮城県名取市にあるサイン（看板）メーカー。道路わきのシンボルサインやチャンネルサイン（ロゴの立体文字など）といった屋外設置の大型看板を中心に、スタンド看板、小型看板、モニュメントといったサイン全般の設計から製作・施工までワンストップで対応している。</p>
<p>創業者である阿部和成氏（先代）は、建築の内装金物の製造企業に勤めたのち、1990年に40代前半で独立、飛鳥東北を立ち上げ、サイン業界に参入した。バブル崩壊と同時期の創業で、並々ならぬ苦労があったというが、先代は「当時はハングリー精神の塊だった。自分はバブル景気の恩恵を享受していないが、それでよかった。バブルを味わっていたら、生き残れなかったと思う」と振り返っていたという。</p>
<p>ドーナツ化現象により郊外型の大型商業施設が増え、サインの大型化が進んでいた時代。同社は大型看板のCAD設計から鉄骨・形鋼による柱・フレームの加工、板金部品による外装部の加工、カッティングシートの貼り込みやアクリル板などによる装飾、高所現場作業などの設置・施工、メンテナンスまで一貫対応することにより、着実に事業を軌道に乗せていった。</p>
<p>以前は仙台を拠点に東北エリアで事業を展開してきたが、2007年に阿部直哉社長が入社してからは関東圏まで商圏を拡大。現在は地元の宮城県で鋼構造物工事・内装仕上工事・土木工事・塗装工事などの県知事許可を取得しているだけでなく、東北6県・北関東3県（茨城・栃木・群馬）・東京都・横浜市で屋外広告業として登録し、東日本エリア全体へ事業を展開している。施工に関わる資格類も、職長、高所作業車運転者、ゴンドラ操作者、玉掛作業者、第一種電気工事士、ネオン工事資格者、鉄骨組立作業主任者、有機溶剤作業主任者などを保有している。</p>
<p>現在では、屋外設置の大型看板が売上の70%を占めるまでに成長。これまでにショッピングモールやファミリーレストランなどの大型看板、カーディーラーのファサード、ビジネスホテルのポールサイン、プロ野球スタジアムのスコアボードサインや誘導サインなどの製造・施工実績がある。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1710_inde01_05.jpg" alt="画像：「選択と集中」で骨太な企業体質をつくる" width="295" height="220" class="size-full wp-image-7014" /><span class="caption-text">業務用大判プリンター。看板用カッティングシートの出力・貼り付けの内製化に取り組んでいる</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1710_inde01_06.jpg" alt="画像：「選択と集中」で骨太な企業体質をつくる" width="295" height="220" class="size-full wp-image-7015" /><span class="caption-text">ショッピングモールの大型看板の施工</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="post_table">
<h3>会社情報</h3>
<dl class="table">
<dt>会社名</dt>
<dd>飛鳥東北 株式会社</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>代表取締役</dt>
<dd>阿部 直哉</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>住所</dt>
<dd>宮城県名取市高舘熊野堂字飛鳥47-2</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>電話</dt>
<dd>022-386-2249</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>設立</dt>
<dd>1990年</dd>
<dt>従業員数</dt>
<dd>14名</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>主要事業</dt>
<dd>金属工芸、屋外広告、モニュメント、レーザーカット、チャンネル文字、重量鉄骨造形物の企画・製造・取付・シート加工・施工</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>URL</dt>
<dd><a href="http://www.asukatohoku.jp/" target="_blank">http://www.asukatohoku.jp/</a></dd>
</dl>
</div>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>母と社員への思いから事業継承を決意</title>
		<link>https://www.machinist.co.jp/2017/07/6071/</link>
		<comments>https://www.machinist.co.jp/2017/07/6071/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 26 Jul 2017 00:39:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sheetmetal</dc:creator>
				<category><![CDATA[8月]]></category>
		<category><![CDATA[Independents ― 事業継承者の起業家精神]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://www.machinist.co.jp/?p=6071</guid>
		<description><![CDATA[モノづくりとは縁遠かった少年時代 藤田貴士係長は、家業の㈱藤田製作所に入社するまで、モノづくりとは縁遠い生活を ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="sigle_intro">
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1708_inde01_01.jpg" alt="画像：母と社員への思いから事業継承を決意" width="620" height="380" class="size-full wp-image-6074" /><span class="caption-text">2015年に導入したパンチ・レーザ複合マシンACIES-2512T+ASR-2512NTK</span></span></p>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>モノづくりとは縁遠かった少年時代</h3>
<p class="left_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1708_inde01_02.jpg" alt="画像：母と社員への思いから事業継承を決意" width="250" height="340" class="size-full wp-image-6075" /><span class="caption-text">藤田貴士氏</span></span></p>
<p>藤田貴士係長は、家業の<a href="http://fu-ji-ta.co.jp/" target="_blank">㈱藤田製作所</a>に入社するまで、モノづくりとは縁遠い生活を送ってきた。</p>
<p>社長である父親は、子どもを工場には近寄らせなかった。その真意は、今となってはわからない。父親は13年前 ― 藤田係長が20歳のときに亡くなった。</p>
<p>藤田係長は「同じ境遇である事業継承者の方々に話を聞くと、学生時代に工場でアルバイトをしていたり、どこかで『自分が継ぐことになるのだろう』と意識していたりする方が多いようです。しかし私の場合、ずっと家業とは距離を置いた生活を送ってきたこともあり、自分が会社を継ぐとは夢にも考えていませんでした。好きな仕事に就いて、自由に生きていくことが当たり前だと思っていました」と語る。</p>
<p>ところが父親が病気で亡くなる直前、「今までは継がせるつもりはなかったが、やはり継いでくれないか」と言われ、動揺した。当時の藤田係長は20歳の大学生。父の遺志とはいえ、それまで何の接点もなかった家業を継ぐことは、あまりに唐突で現実離れしていた。</p>
<p>藤田係長は地元には帰らず、東京のIT系企業に就職。藤田製作所の事業は、母親の藤田茂子社長が引き継ぐこととなった。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1708_inde01_03.jpg" alt="画像：母と社員への思いから事業継承を決意" width="295" height="230" class="size-full wp-image-6076" /><span class="caption-text">レーザ加工</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1708_inde01_04.jpg" alt="画像：母と社員への思いから事業継承を決意" width="295" height="230" class="size-full wp-image-6077" /><span class="caption-text">曲げ工程。3mまでの曲げに対応するHG-1703（手前）と小物曲げ用に導入したサーボベンディングマシンEG-6013（奥）</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>2輪・弱電関連のプレス加工で成長</h3>
<p>藤田製作所は、藤田係長の祖父が1958年にプレス加工業として設立。当初は暖房機器や台所用家電製品の部品加工を手がけていた。その後は、2輪関連や弱電関連の部品製作が中心となり、薄板・小物部品のプレス加工に特化していった。</p>
<p>1989年、2代目となる父親の代に、NCタレットパンチプレスやベンディングマシンを導入し、板金加工に参入。主力だった2輪関連や弱電関連の仕事が海外移転で減少する中、徐々に板金加工のウエイトが高まっていった。プレス・板金のほかにも、金型製作・バフ研磨・シルクスクリーン印刷に社内で対応できる能力を備える。さらに、協力会社と連携することで塗装・組立まで一貫で対応し、完成品まで仕上げるOEM生産体制も構築している。</p>
<p>現在の仕事量は、板金とプレスでほぼイーブン。プレス部門で従来の得意先の仕事に対応しながら、板金部門を強化することで新規開拓につなげていこうとしている。2015年にはパンチ・レーザ複合マシンACIES-2512T+ASR-2512NTK、2016年には長さ3mまでの曲げ加工に対応できるベンディングマシンHG-1703、2017年には小物の曲げ加工用にサーボベンディングマシンEG-6013を導入した。板金工程の加工領域を拡大するとともに、自動化・合理化に対応する設備の増強により、加工品質の向上と競争力強化を図っている。</p>
<p>加茂市商工会議所に所属する金属部品加工企業11社の1社として地域のモノづくりブランド<a href="http://www.kamocci.or.jp/tech/" target="_blank">「Tech×Tech KAMO」</a>にも参加している。「Tech×Tech KAMO」は公共展への共同出展などのほか、2012年から「マイクロ水力発電装置」の共同開発をスタート。今年5月にはJICA（国際協力機構）の支援を受けて、カンボジアで実証実験を行うなど、精力的に活動している。</p>
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1708_inde01_05.jpg" alt="画像：母と社員への思いから事業継承を決意" width="620" height="230" class="size-full wp-image-6080" /><span class="caption-text">左：プレスマシンを計23台保有し、最大200トンまで対応する／右：地域のモノづくりブランド「Tech×Tech KAMO」で2012年から共同開発をスタートした「マイクロ水力発電装置」</span></span>
</div>
<div class="post_table">
<h3>会社情報</h3>
<dl class="table">
<dt>会社名</dt>
<dd>株式会社 藤田製作所</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>代表取締役</dt>
<dd>藤田 茂子</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>住所</dt>
<dd>新潟県加茂市八幡2-3-51</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>電話</dt>
<dd>0256-52-2141</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>設立</dt>
<dd>1958年</dd>
<dt>従業員数</dt>
<dd>49名</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>主要事業</dt>
<dd>オートバイ・自動車関連部品、OA機器関連部品、産業機器関連部品、水処理装置関連部品などの加工および表面処理・組立／金型および冶工具の製作</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>URL</dt>
<dd><a href="http://fu-ji-ta.co.jp/" target="_blank">http://fu-ji-ta.co.jp/</a></dd>
</dl>
</div>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>主役は社員 ― “黒子経営”を追求</title>
		<link>https://www.machinist.co.jp/2017/05/5619/</link>
		<comments>https://www.machinist.co.jp/2017/05/5619/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 30 May 2017 01:45:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sheetmetal</dc:creator>
				<category><![CDATA[6月]]></category>
		<category><![CDATA[Independents ― 事業継承者の起業家精神]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://www.machinist.co.jp/?p=5619</guid>
		<description><![CDATA[“生かされている”感覚 「自分は昔から“生きている”というよりは“生かされている”という感覚が強い。この感覚は ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="sigle_intro">
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1706_inde01_01.jpg" alt="画像：主役は社員―“黒子経営”を追求" width="620" height="400" class="size-full wp-image-5625" /><span class="caption-text">これだけの多工程曲げでも公差±0.1㎜以内を実現。同社が誇る「製造技師」（部長級）のスタッフが加工を担当</span></span></p>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>“生かされている”感覚</h3>
<p class="left_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1706_inde01_02.jpg" alt="画像：主役は社員―“黒子経営”を追求" width="250" height="340" class="size-full wp-image-5627" /><span class="caption-text">佐藤将志氏</span></span></p>
<p>「自分は昔から“生きている”というよりは“生かされている”という感覚が強い。この感覚は私にとって大切なもので、今の私の経営スタイルにも結びついていると思います」と佐藤将志社長は語っている。</p>
<p>佐藤社長は4歳の頃、背骨が側方に曲がる先天性側湾症を患っていた。原因不明の難病で、保育園から小学6年生まで、物々しい矯正ギプスを装着していた。小学生のころは、他人とはちがう出で立ちがいじめや冷やかしの対象となり、「当時は大の人嫌いだった」という。</p>
<p>野球好きだった佐藤社長は、小学生のころはリトルリーグのチームに所属。矯正ギプスを器用に脱着しながら大好きな野球に没頭するうちに、治るのは数万人にひとりという難病が治ってしまった。そして中学2年生の後半には、たまたま他のクラスに友だちができたことで小学校から継続していたいじめや冷やかしもなくなり、生活環境が一変した。</p>
<p>「初めて人のありがたみを感じました。好き嫌いせずに接していると、仲間になってくれる人がいるとわかった。仲間は私を守ってくれるし、私も仲間を守らなければならない ― これが私の基本スタンスです」と佐藤社長は振り返る。</p>
<p>現在37歳の佐藤社長は、自身の経営スタイルについて<strong>「主役は社員」「私なりの“黒子経営”のかたちを追求していきたい」</strong>などと語っている。後ろ向きにも受け取られかねない発言だが、そのベースには少年時代の体験と“生かされている”という感覚がある。支え支えられながら、仲間を生かし、仲間を守ろうとする佐藤社長の姿勢は共感を呼び、自社だけでなく協力会社や同業者、異業種企業など、垣根を越えて協力し合える集合体をつくることにもつながっている。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1706_inde01_03.jpg" alt="画像：主役は社員―“黒子経営”を追求" width="295" height="220" class="size-full wp-image-5630" /><span class="caption-text">ガントチャート（画面上部）と工程別の負荷山積みグラフ（画面下部）により生産スケジュールを“見える化”。この画面を大型ディスプレイに表示することで、社員全員が生産スケジュールを共有・管理することを目指す</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1706_inde01_04.jpg" alt="画像：主役は社員―“黒子経営”を追求" width="295" height="220" class="size-full wp-image-5631" /><span class="caption-text">2015年に導入した同社初のレーザ搭載機、パンチ・レーザ複合マシン<a href="http://www.amada.co.jp/products/bankin/punch_laser/lc_c1nt_series.html" target="_blank">LC-2012C1NT</a></span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>プレスから板金へとシフト</h3>
<p><a href="http://www.kk-kyoei.com/" target="_blank"><strong>㈱キョウエイ</strong></a>は1967年に創業、2代目にあたる佐藤嘉志雄会長が1972年に社長に就任してからは、大手電機メーカーのプレス加工企業として確固たる地位を築いていった。1982年、佐藤会長の弟にあたる佐藤裕司相談役が入社してからは、一部、板金加工も手がけるようになった。1990年頃には本格的に板金加工をスタートし、板金・プレス加工の2本柱で事業を発展させてきた。</p>
<p>2008年、佐藤会長は大手電機メーカーの協力会の視察旅行で中国を訪れた際、現地のプレス工場が昼夜を問わず人海戦術でフル稼働している様子を目の当たりにし、日本国内のプレス加工の事業環境はますます厳しくなると考えた。当時はまだプレス加工事業だけで年間1億円程度の売上があったが、佐藤会長はプレス加工事業からの撤退を決断、その3カ月後にリーマンショックが起こった。</p>
<p>佐藤会長は「あのときに撤退を決断していなかったら、経営環境はずいぶん悪化していたでしょう。だからというわけではありませんが、次の世代になっても“一生、板金”などとは考えず、“板金の次”を柔軟に考えていってほしい」と語っている。</p>
<p>プレス加工からの撤退で一時的に売上は落ち込んだものの、プレス加工で培った金型や治具のノウハウを活かした高品質なモノづくりには定評があった。2010年代に入ってからは毎年のように得意先を開拓、2015年には同社初のレーザ搭載機であるパンチ・レーザ複合マシン<a href="http://www.amada.co.jp/products/bankin/punch_laser/lc_c1nt_series.html" target="_blank">LC-2012C1NT</a>と、3mまでの曲げ加工に対応できるベンディングマシン<a href="http://www.amada.co.jp/products/bankin/bending/hg_series.html" target="_blank">HG-1303</a>を導入したことで加工領域が拡大し、県外の仕事も積極的に取り込むようになっている。2016年には新規の得意先を4社開拓し、現在の得意先社数は約20社。売上高も毎年右肩上がりで推移している。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1706_inde01_05.jpg" alt="画像：主役は社員―“黒子経営”を追求" width="295" height="220" class="size-full wp-image-5633" /><span class="caption-text">曲げ工程。現場は4グループに分かれ、グループリーダーは全員が30代と若い。ほぼ全員が2工程以上に対応できる多能工となっている</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1706_inde01_06.jpg" alt="画像：主役は社員―“黒子経営”を追求" width="295" height="220" class="size-full wp-image-5635" /><span class="caption-text">表面処理後に曲げ加工した製品。曲げ跡が一切ない。曲げ加工の技術力には定評があり、大手電機メーカーからも表彰を受けている</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="post_table">
<h3>会社情報</h3>
<dl class="table">
<dt>会社名</dt>
<dd>株式会社 キョウエイ</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>会長</dt>
<dd>佐藤 嘉志雄</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>代表取締役社長</dt>
<dd>佐藤 将志</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>住所</dt>
<dd>長野県上田市富士山2416-12</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>電話</dt>
<dd>0268-38-8859</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>設立</dt>
<dd>1967年</dd>
<dt>従業員数</dt>
<dd>28名</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>主要事業</dt>
<dd>電子・電気機器、通信機器、計測器、医療機器などの精密板金加工</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>URL</dt>
<dd><a href="http://www.kk-kyoei.com/" target="_blank">http://www.kk-kyoei.com/</a></dd>
</dl>
</div>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>GMC初の外国人受講生</title>
		<link>https://www.machinist.co.jp/2017/04/5348/</link>
		<comments>https://www.machinist.co.jp/2017/04/5348/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 22 Apr 2017 08:40:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sheetmetal</dc:creator>
				<category><![CDATA[5月]]></category>
		<category><![CDATA[Independents ― 事業継承者の起業家精神]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://www.machinist.co.jp/?p=5348</guid>
		<description><![CDATA[電子部品・半導体製造装置関連がメイン 谷振股份有限公司は1986年、陳忠垣総経理がそれまで勤めていた樹脂の原料 ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="sigle_intro">
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1705_inde01_01.jpg" alt="画像：GMC初の外国人受講生" width="620" height="320" class="size-full wp-image-5353" /><span class="caption-text">3次元CADを活用し、得意先とのコラボレーション・エンジニアリングに対応する</span></span></p>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>電子部品・半導体製造装置関連がメイン</h3>
<p class="left_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1705_inde01_02.jpg" alt="画像：GMC初の外国人受講生" width="250" height="300" class="size-full wp-image-5358" /><span class="caption-text">楊詠荃さん</span></span></p>
<p>谷振股份有限公司は1986年、陳忠垣総経理がそれまで勤めていた樹脂の原料商社を退社して設立した。当時の台湾板金業界は機械化が遅れており、ようやく機械板金の考えが浸透し始めた頃だった。</p>
<p>陳総経理は知り合いの紹介で板金業界のことを知った。台中地区には機械メーカーが数多くあり、機械カバー・フレームの仕事もたくさんあった。そこで、板金加工が進んでいる日本へ行き、日本語の板金加工関連の書物を買い集めて中国語に翻訳、板金加工を基礎から独学で学んだ。</p>
<p>1986年にシャーリング、コーナーシャー、ベンディングマシン、ユニパンチプレスをアマダ台湾から購入して、台中市内で会社を設立した。初めての仕事は、欧州の自動車メーカー、ルノーに部品を供給していた自動車部品メーカーの設備装置に使う機械カバー・フレームの仕事だった。その後、新規の得意先を開拓して順調に成長し、現在では電子部品製造装置や半導体製造装置などのカバー・フレームの加工・組立の仕事を主体にしている。</p>
<p>国内外、直接・間接を問わず日系企業からの売上が70%弱を占めている。自動車・工業化住宅・電機（液晶・有機EL、太陽電池など）の生産システム、ロボットシステムなどの各種自動化システム、産業機械、化学プラントの建設メンテナンス、太陽光発電所など、電機・電子部品製造装置の板金カバー・フレームなどの仕事を受注。ピーク時は月間3,000万台湾元（約1億円）の仕事を受注した。</p>
<p>最近は台湾の液晶パネル製造装置メーカーAUO向けの仕事が忙しく、使用する材料は鋼板（SECC、SPCC）の板厚1.2㎜・2.3㎜、ステンレス（SUS304、SUS316、SUS430）の板厚1.5㎜・2.0㎜がほぼ半々となっている。</p>
<p>ステンレス加工に対応するため、1999年頃にアマダ台湾からレーザマシンLC-2415αⅡを導入、その後、欧州製のレーザマシン1台を増設した。最近は製造装置も大型化しており、装置を載せる架台製作のため、形鋼や角パイプの使用頻度が増えている。そこで、LC-αⅡの後継機として形鋼・パイプの加工ができるロータリーインデックス装置付きのレーザマシンFO-MⅡ RI 3015NTをシャトルテーブル付きで導入した。</p>
<p>さらに、コラボレーション・エンジアリングを行う機会が増えていることから、3次元CAD SolidWorks、AutoCAD Inventorなどを導入し、得意先と共通のプラットフォームを構築、共同で装置カバーの設計も行うことによって生産リードタイムを大幅に短縮している。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1705_inde01_03.jpg" alt="画像：GMC初の外国人受講生" width="295" height="220" class="size-full wp-image-5360" /><span class="caption-text">平板・パイプ・形鋼に対応するレーザマシンFO-MⅡ RI 3015NT+LST-RI 3015</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1705_inde01_04.jpg" alt="画像：GMC初の外国人受講生" width="295" height="220" class="size-full wp-image-5361" /><span class="caption-text">曲げ加工エリア</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>長男は経営学と生産管理・品質管理を学ぶ</h3>
<p>陳総経理には2人の子息がいる。</p>
<p>長男の陳俊宏さんは台湾の大学で機械工学を学び、2002年に同社に入社、3年間製造現場で経験を積んだ。2005年から5年間は米国・シアトルの大学で、英会話と経営学を学び、帰国後2年間は同社で営業職に携わった。その後は1年半、日本へ留学した。</p>
<p>「モノづくりは日本とドイツが世界のトップ。日本で最新のモノづくりや生産管理、品質管理、そして日本語を学びました」と陳俊宏さんは語っている。</p>
<p>2013年に帰国してすでに5年、中国語・英語・日本語を駆使してグローバル化するビジネスに対応し、陳総経理の片腕として事業全般を見るようになった。</p>
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1705_inde01_05.jpg" alt="左：ステンレス製の大型盤筐体の溶接作業／右：出荷を待つ液晶製造装置の架台" width="620" height="230" class="size-full wp-image-5363" /><span class="caption-text">左：ステンレス製の大型盤筐体の溶接作業／右：出荷を待つ液晶製造装置の架台</span></span></p>
</div>
<div class="post_table">
<h3>会社情報</h3>
<dl class="table">
<dt>会社名</dt>
<dd>谷振股份有限公司</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>総経理</dt>
<dd>陳忠垣</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>住所</dt>
<dd>台湾・台中市烏日區螺潭里慶光路79-15號</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>電話</dt>
<dd>+886-4-2335-4800</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>設立</dt>
<dd>1986年</dd>
<dt>従業員数</dt>
<dd>70名</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>主要事業</dt>
<dd>電子部品・半導体製造装置などのカバー・フレームの板金加工・組立</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>URL</dt>
<dd><a href="http://www.goodjoint.com.tw/" target="_blank">http://www.goodjoint.com.tw/</a></dd>
</dl>
</div>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>“個の集団”から“モノづくり企業”へ</title>
		<link>https://www.machinist.co.jp/2017/03/5242/</link>
		<comments>https://www.machinist.co.jp/2017/03/5242/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 26 Mar 2017 19:14:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sheetmetal</dc:creator>
				<category><![CDATA[4月]]></category>
		<category><![CDATA[Independents ― 事業継承者の起業家精神]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://www.machinist.co.jp/?p=5242</guid>
		<description><![CDATA[精密機械工学を学び、SEとして4年勤務 「私が今やろうとしていることは、“個の集団”から“モノづくり企業”への ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="sigle_intro">
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1704_inde01_01.jpg" alt="画像：“個の集団”から“モノづくり企業”へ" width="620" height="360" class="size-full wp-image-5245" /><span class="caption-text">3次元ソリッド板金CAD SheetWorks（手前）と2次元CAD/CAM AP100（奥）を操作する小瀬専務</span></span></p>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>精密機械工学を学び、SEとして4年勤務</h3>
<p class="left_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1704_inde01_02.jpg" alt="画像：“個の集団”から“モノづくり企業”へ" width="250" height="320" class="size-full wp-image-5302" /><span class="caption-text">小瀬公嗣氏</span></span></p>
<p>「私が今やろうとしていることは、“個の集団”から“モノづくり企業”への脱皮。そのための基盤づくりをしているまっただ中です」と小瀬公嗣専務は語っている。</p>
<p>小瀬専務は幼少期から家業である武蔵工業の工場によく出入りし、高校生の頃はアルバイトで穴あけやタッピング加工を手伝った。</p>
<p>「板金加工の現場は小さい頃から見ていましたから、どんな仕事かはなんとなく理解していました。父が私に事業を継承してほしいと思っていることは、伝わっていました。しかし父は、『是が非でも』というよりは『本人の意思で継いでほしい』という思いが強かったようです。母は、苦労している父を間近で見てきましたから、『息子に同じ苦労をさせたくない』という親心があったようです。私自身はというと、当時は家業を継ぐかどうか明確な意思があったわけではありません。しかし迷いながらも『たぶん継ぐことになるだろうな』という漠然とした思いは持っていました」。</p>
<p>三者三様の思いの中、小瀬専務は大学進学時に精密機械工学科を選択した。機械・電気・電子・情報の各分野を幅広く学べ、「会社を継ぐことになってもムダにはならない」という考えがあったからという。</p>
<p>大学卒業後は大手IT企業に入社。SEとして4年間勤務したのち退職し、26歳で武蔵工業に入社した。</p>
<p>「社会勉強の意味でも大手企業で3年くらい経験を積んでから事業継承の結論を出そうという考えでしたが、私の気持ちはほとんど会社を継ぐ方向で固まっていました。当初は3年間の予定でしたが、後任の手当てや引き継ぎですぐには抜けられず、1年伸びた格好です」。</p>
<p>「正式に会社を継ぐと決めたとき、もちろん父は喜んでくれましたし、母も『やるならしっかりね』と励ましてくれました。子どもの頃から工場に出入りしていて様子がわかっていましたし、もともとモノづくりが好きでしたから、無理なく自然と選択できました」。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1704_inde01_03.jpg" alt="画像：“個の集団”から“モノづくり企業”へ" width="295" height="220" class="size-full wp-image-5248" /><span class="caption-text">2014年に導入したパンチ・レーザ複合マシンLC-1212C1NT</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1704_inde01_04.jpg" alt="画像：“個の集団”から“モノづくり企業”へ" width="295" height="220" class="size-full wp-image-5249" /><span class="caption-text">ベンディングマシンEG-6013（奥）とHD-8025NT（手前）</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>3年間で売上3倍</h3>
<p>㈲武蔵工業は1971年、小瀬専務の父親である小瀬利治社長が川崎市中原区で創業。1982年に事業拡張のため法人化し、1986年に現在地に移転した。通信機器や医療機器向けに精密板金加工をメインとした受託加工サービスを展開し、従業員5名前後という小規模ながら、丁寧な仕事で得意先の信頼を得てきた。</p>
<p>2006年に入社した小瀬専務が2009年に専務に就任してからは、設備を増強しながら新規得意先を次々に開拓、事業は急速に拡大していった。開拓した新規得意先は10社以上、2009年以前の既存顧客が売上に占める割合は20%程度まで減少し、2013年から2016年の3年間で売上は約3倍に成長した。</p>
<p>加工設備も毎年のように導入した。2009年に3次元ソリッド板金CAD SheetWorks、2011年にレーザマシンQuattro、2012年に生産管理システムWILL、2013年にベンディングマシンHD-8025NT、2014年にパンチ・レーザ複合マシンLC-1212C1NT、2015年にパンチングマシンEM-255MⅡとベンディングマシンFMB-NT×2台、2016年にベンディングマシンEG-6013と板金エンジニアリングシステムVPSS 3iを導入している。</p>
<p>スペースを確保するため、新たに貸工場を3棟借り、現在は本社工場と合わせて4棟。本社工場はプログラムとブランク工程、第2工場は曲げ・溶接工程、第3工場は検査・梱包・出荷工程、第4工場は倉庫と使い分けている。従業員数も、2009年の4人から、現在では13名に増えた。</p>
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1704_inde01_05.jpg" alt="画像：“個の集団”から“モノづくり企業”へ" width="620" height="280" class="size-full wp-image-5303" /><span class="caption-text">左：同社が製作した①医療機器部品（A5052、SECC）と②食品機械部品（SUS304・板厚1.5㎜・2.0㎜）／右：自社製品の静音ラック</span></span></p>
</div>
<div class="post_table">
<h3>会社情報</h3>
<dl class="table">
<dt>会社名</dt>
<dd>有限会社 武蔵工業</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>代表取締役</dt>
<dd>小瀬 利治</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>専務取締役</dt>
<dd>小瀬 公嗣（まさつぐ）</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>住所</dt>
<dd>神奈川県横浜市港北区新羽町574-6</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>電話</dt>
<dd>045-531-1304</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>設立</dt>
<dd>1982年</dd>
<dt>従業員数</dt>
<dd>13名</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>主要事業</dt>
<dd>情報通信機器・測定機・食品機械・医療機器などの精密板金加工（設計・加工・溶接・塗装・組み付けなど）</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>URL</dt>
<dd><a href="http://www.musasikougyou.co.jp/" target="_blank">http://www.musasikougyou.co.jp/</a></dd>
</dl>
</div>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>海外志向と語学への情熱―グローバル企業を目指す</title>
		<link>https://www.machinist.co.jp/2017/02/5122/</link>
		<comments>https://www.machinist.co.jp/2017/02/5122/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 21 Feb 2017 18:16:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>sheetmetal</dc:creator>
				<category><![CDATA[3月]]></category>
		<category><![CDATA[Independents ― 事業継承者の起業家精神]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://www.machinist.co.jp/?p=5122</guid>
		<description><![CDATA[芸術と工学の“両取り”から板金企業へ 野村侑加部長は名古屋市立大学芸術工学部出身。高校では理数系を選択していた ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="sigle_intro">
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1703_inde01_01.jpg" alt="画像：海外志向と語学への情熱―グローバル企業を目指す" width="620" height="380" class="size-full wp-image-5125" /><span class="caption-text">板金技能検定に挑戦する社員は鉢巻きを巻く</span></span></p>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>芸術と工学の“両取り”から板金企業へ</h3>
<p class="left_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1703_inde01_02.jpg" alt="画像：海外志向と語学への情熱―グローバル企業を目指す" width="250" height="410" class="size-full wp-image-5128" /><span class="caption-text">野村侑加氏</span></span></p>
<p>野村侑加部長は<a href="http://www.nagoya-cu.ac.jp/" target="_blank">名古屋市立大学</a><a href="http://www.nagoya-cu.ac.jp/academics/undergrad-sda/" target="_blank">芸術工学部</a>出身。高校では理数系を選択していたが、幼少期から母親に美術を教わり、芸術分野への意識が高かった。大学では「芸術工学部」を選択、工学と芸術の“両取り”をする格好となった。</p>
<p>父親である野村壮吾社長も<a href="http://www.design.kyushu-u.ac.jp/" target="_blank">九州芸術工科大学</a>の出身。野村社長の専攻はグラフィックデザイン、娘の野村部長はインテリアデザインというちがいはあるものの、どちらも「工学と芸術を一緒に学びたい」という発想では共通していた。</p>
<p>大学を卒業した野村部長は、野村社長の誘いを受けるかたちで、そのまま家業の協和プレス工業に入社した。</p>
<p>野村部長は「これで本当に良いのかな、という葛藤はありました。入社したら、どうしても社長の娘という目で見られるでしょうから、どういう風に振る舞ったら良いだろうとも悩みました。しかし、社員や取引先のみなさんが可愛がってくださったので、どうにか今までやってこられました。特に私が入社する前に大学新卒で入社していた2人の社員とは歳も近く、相談し合いながら一緒に成長することができたと思います」と振り返る。</p>
<p>入社当初は生産管理の担当者として、受注処理や材料発注、生産手配、納期管理などに携わり、翌年からは採用担当として合同企業説明会や面接も担当した。その後はプログラム工程、高精度パンチプレスMERCのオペレーション、さらには経理事務まで担当するようになっていった。</p>
<p>「大学ではCADや3次元モデリング、プログラミングなどの授業もあったので、CAD/CAMの操作は抵抗感なく飲み込めました。板金のことは右も左もわかりませんでしたが、モノづくりをするうえでは、大学でのデザインの経験が活きる部分がたくさんあるので、楽しさを見出しています」。</p>
<ul class="double_img">
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1703_inde01_03.jpg" alt="画像：海外志向と語学への情熱―グローバル企業を目指す" width="295" height="230" class="size-full wp-image-5130" /><span class="caption-text">自動倉庫MARS（左）と連動したパンチングマシンEMZ-3510NTP（手前）とシングルパンチプレスHMX-3510NT（奥）</span></span></li>
<li><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1703_inde01_04.jpg" alt="画像：海外志向と語学への情熱―グローバル企業を目指す" width="295" height="230" class="size-full wp-image-5131" /><span class="caption-text">2016年11月に導入したベンディングマシンHG-8025による曲げ工程</span></span></li>
</ul>
</div>
<div class="sigle_block">
<h3>カナダに1年半―海外志向と語学への情熱</h3>
<p>野村部長は少女時代から、海外志向も強かった。中学から高校にかけて米国・韓国・オーストラリアで計3回ホームステイを経験した。入社後5年が経過したころには、和歌山市内の外国語専門学校で試験的に開催されたビジネス英会話を受講。それがきっかけで語学への情熱が再燃した野村部長は、後輩への引き継ぎを済ませ、2013年1月に語学研修とワーキングホリデーの名目でカナダへ留学した。</p>
<p>「バンクーバーに半年、トロントに1年、滞在しました。そのうち半年間はトロント近郊にある金属加工機メーカーに勤務し、日本語資料の英訳や英語の提案書の作成などの業務を手伝いました。仕事を休んで留学するわけですから『絶対にムダにはできない。きちんとステップアップしないと』と思い、留学中はできる限り日本人とは話さず、日本語から離れようと決めていました。その甲斐あって、留学後に受けたTOEICの成績は留学前の倍くらいに伸びました。あのときは『英語の先生になろうかしら』と思うくらい嬉しかった」。</p>
<p class="single_img"><span class="alignnone"><img src="https://www.machinist.co.jp/wp/wp-content/themes/machinist/images/upload/1703_inde01_05.jpg" alt="画像：海外志向と語学への情熱―グローバル企業を目指す" width="620" height="230" class="size-full wp-image-5132" /><span class="caption-text">左：納期の曜日ごとに作業指示書の色を分け、目で見る管理を実践している／右：配膳棚も作業指示書と同様、納期の曜日ごとに棚板を色分けしている</span></span></p>
</div>
<div class="post_table">
<h3>会社情報</h3>
<dl class="table">
<dt>会社名</dt>
<dd>協和プレス工業 株式会社</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>代表取締役社長</dt>
<dd>野村 壮吾</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>住所</dt>
<dd>和歌山県紀の川市長田中345-7</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>電話</dt>
<dd>0736-73-3211</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>設立</dt>
<dd>1963年</dd>
<dt>従業員数</dt>
<dd>60名</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>主要事業</dt>
<dd>業務用空調機器・冷凍機器の板金部品、プレス部品、工作機械用カバー板金部品、業務用通信機器の精密板金部品・プレス部品など</dd>
</dl>
<dl class="table">
<dt>URL</dt>
<dd><a href="http://kyowa-p.co.jp/" target="_blank">http://kyowa-p.co.jp/</a></dd>
</dl>
</div>
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