道後温泉で出会った明治人の息吹


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連休明けに四国・松山市のお客さまを訪問した夜、道後温泉の老舗料理旅館「うめ乃や」で夕食を堪能することができました。

 

以前、取材で訪れた四国の板金業界の動向を誌面に紹介した折に、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を引き合いに出して、正岡子規や日露戦争の立役者だった秋山好古、真之兄弟のことに触れたことを記憶していた知り合いが「二人の書がある」ということで、ここへ招待してくださいました。

 

「うめ乃や」は正岡子規の弟子、河東碧梧桐らに愛されてきた俳趣の宿とのことで、温泉街の街中とは思えない静寂な空間が私たちをもてなしてくれました。

宿のご主人のこだわりで、アメリカを代表する家具デザイナー、ジョージ・ナカシマのオーダーメイド家具がセッティングされた和室のダイニングで供された食事は、一品一品が丁寧に地元の四季豊かな旬材を用いて見事に彩が加えられた会席料理で、締めは鯛めし。美味しくいただくことができました。

 

秋山好古、真之兄弟の書は、ダイニングルームに3点掲げられていました。

中でも私は秋山真之の「主一無適」と書かれた書が印象に残りました。

事に当たってはその一事に精神を集中統一して,他に散らさないこと、という意味の言葉だということで、朱子学の古くからの教えだそうです。

かの吉田松陰も<一日一言主一(しゅいつ)無適(むてき)は心学の常套(じょうと)>と書いています。

 

日本海海戦で「天祐」もあって、バルチック艦隊を打ち破った真之は、まさに「主一無適」でバルチック艦隊との戦い方を考えていたのでしょう。

ところで、真之は戦争で多くの人命が失われたことを後悔していたともいわれます。

秋山真之の戦略には、孫子の「戦わずして人の兵を屈するは善の善たるもの」が、根本思想としてあり、軍は戦うためのものでなく、戦争抑止力としての価値があると考えていたといわれています。

軍人でありながら不戦論者でもあったようで、平和の大切さを十分に心得ていた人物であったと思います。

 

享年49歳で亡くなる際には、枕元に集まった海軍軍人に「アメリカとの戦いは避けるように」と語っていたともいわれています。

第2次大戦に最後まで海軍は反対だったという話がありますが、秋山真之が最期に残した言葉が、その後の日本海軍の戒めになっていたのかもしれません。

 

真之は日露戦争終結後、国民の多くが大国ロシアに勝利したことを喜ぶ風潮に対しても、「古人曰く、勝って兜の緒を締めよ」と述べています。

今の日本では安全保障法制に関する国会論議が話題となっていますが、改めて秋山真之の「戦わずして勝つ」という戦略を噛みしめる必要があるように思いました。

 

古きよき趣に新しきを添えた優しきもてなしに感謝しながら、明治の先人たちの生き方、日本をこよなく愛した息吹にも触れることができる素晴らしい時を過ごすことができました。

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