特集

ファイバーレーザ複合マシンの導入事例

LC-C1AJ導入をテコにモノづくり改革

経営の“見える化”を推進

株式会社 苅谷製作所

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画像:LC-C1AJ導入をテコにモノづくり改革①ファイバーレーザ複合マシンLC-2515C1AJを制御するAMNC3i。大型のタッチパネル画面から簡単に操作できる/②LC-C1AJで加工したブランク材

撚糸から板金へ

画像:LC-C1AJ導入をテコにモノづくり改革苅谷龍治社長

苅谷龍治社長は21歳になった1984年、父親から「撚糸(ねんし)の仕事には未来がない。知り合いから板金加工の仕事をやらないか、という話が来ている。俺と一緒に板金加工をやってみないか」といわれ、「やってみるか」と板金工場を開業した。

「その頃から繊維産業は構造不況で、川上の撚糸の仕事も薄くなっていました。父としては、まだ余裕があるうちに転業して、事業の発展を考えたのでしょう。私も板金加工がどんな分野なのかまったくわからないままに、この世界に飛び込みました。さいわい、撚糸工場という“上物(うわもの)”があったので、そこにアマダのベンディングマシン2台とコーナーシャーを導入して、自動販売機部品の曲げ加工を賃仕事で始めました。機械も金型のことも知らず、三面図や展開図も読めないので、見よう見まねで曲げ加工を行っていました。1日のショット数をどうしたら増やせるか、と考えながら、ひたすら曲げ加工をしました」。

「そのうち、工作機械カバーの仕事を手がけている板金加工企業から、パンチングマシンで抜いた後の工作機械カバーを曲げ加工する仕事を受注するようになり、溶接・仕上げまで行うようになりました。ところがカバーの仕事が増えると嵩(かさ)が大きくなるので、それまでの工場では手狭になってきました。そこで1989年、現在地に250坪の土地を所有していたので、そこに150坪の新工場を建設、設備を移設しました。そして1990年にパンチングマシンPEGA-357Ⅱを導入して、抜き~曲げ~溶接・仕上げを一貫して行うようになりました」 ― 苅谷社長は板金加工を始めたきっかけと、その頃の戸惑いをこのように語っている。

画像:LC-C1AJ導入をテコにモノづくり改革左:3次元ソリッド板金CAD SheetWorksで作成した3次元モデル/右:ベンディングマシンHG-1303(手前)、HD-1303NT(奥)などによる曲げ加工。機種単位で曲げ加工を行う

工作機械カバーの仕事が80%

その後は工作機械カバーに加え、ホーロー製のキッチン関係の部材加工も増えた。1992年には㈱苅谷製作所として法人化。立形旋盤、立形・横形マシニングセンタのカバーの仕事も手がけるようになった。

得意先を増やした時期もあったが、リーマンショック以降は絞り込み、現在の得意先は10社ほど。80%が大手工作機械メーカーの仕事、10~20%が建機クレーンのキャビン周りのカバーなどで、この2社で大半の売上を占める。

最近の工作機械カバーはデザイン性が高くなり、R形状を含む複雑な形状が増加傾向にある。こうしたトレンドは以前から見られ、同社も1999年頃には中古のレーザマシンを導入して、自由形状のカバーのブランク加工に対応するようになった。また、パンチングマシンとの複合加工にも対応するようになっていった。

「当社がレーザ加工とパンチング加工の複合加工に取り組んだのは、エレベーター部品の仕事を大量に受注していた時期です。その頃は板厚6 ㎜の材料を無理矢理パンチングマシンで抜いて、外周をレーザ加工して納入していました。ところがその仕事が、ある時期に全量、中国へ生産移転され、当社の受注はゼロになりました。そんなこともあって得意先を拡大することには慎重になりました。しかし、レーザを工作機械カバーや建機クレーンにも応用していきたいと考え、2003年にはアマダのFO-3015を導入、2007年には別のレーザマシンを1台導入しました」(苅谷社長)。

  • 画像:LC-C1AJ導入をテコにモノづくり改革曲げ加工を終えたあとは機種単位でパレットに積載し、溶接工程へと送る
  • 画像:LC-C1AJ導入をテコにモノづくり改革区分けされた溶接ブース

会社情報

会社名
株式会社 苅谷製作所
代表取締役
苅谷 龍治
住所
岐阜県各務原市川島小網町1900-88
電話
0586-89-4785
設立
1992年
従業員数
25名
主要事業
工作機械部品加工、建機クレーン部品加工
URL
http://www.kariya-ss.co.jp/

つづきは本誌2016年2月号でご購読下さい。

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